先日の合宿で参段の審査を受けて昇段されたH.K.さんの審査用小論文を、許可を得て掲載します。(23/5/28更新)


「これまでの合気道のお稽古を通じて」

 私が合気道を本格的に始めたのは大学二年生の春からでした。大学一年のカリキュラムを通じて大学生活にも慣れて一通り授業も単位をとれるようになり、 少し心の余裕ができたからでしょうか。何か体を動かしたいのと護身術を習いたいと思い、大学のサークルを覗いてみたのです。

 そんなごくごく一般的な動機で始めた合気道ですが、大学・仕事の忙しい時期もあり多少の波はあるものの、もう二十五年ほど続けている事になり、 自分でもよくここまで続けられたと考えさせられるのです。 もし他の競技だったらおそらくここまで続けられなかったのだと思う一方で、なぜここまで続けられるのか、良い機会なので少し考えてみました。

 第一に競技が無いことが大きいと思います。もし他のスポーツだとしたら当然加齢による体力の衰えによって若い人にはどこかの時期にはかなわなくなるタイミングが訪れます。 合気道の場合は、競うこと自体がなく、常に向き合っているのは己の技なのであって、相手との優劣を競うことが強制されない点が大きいのだと思います。 その意味では合気道は通常のスポーツとは異なり、向き合っているのが自身から発せられる身体的な活動つまり筋肉や骨の動かし方、重心の動かし方、 相手との瞬間ごとの関係性等、一連の動作の良し悪しを自身が評価するという事なのだと思います。 これは例えば絵画に向き合っている画家、あるいは音楽の作曲家の試行錯誤のそれに似ている活動であるとも思います。

 その意味において合気道は生涯学習に非常に向いている活動であると言えます。実際に合気道を継続される方は何十年と継続されていますし、 また社会人になってから始められる方も多数おります。生涯を通じて体を動かすことで護身術としてだけではなく、健康の増進の意味でも非常に有用と考えます。

 またコロナ禍において社会的に孤立する方も多い中で、合気道のお稽古を通じることで一人ではなく他者と接する機会を要する活動であることも、 合気道を継続させる一つの大きな要因なのではと考えます。

 合気道は、自身のみで完結する活動ではなく、他者と接することで初めて技として完成し、それにより初めて自身の技を評価することができますので、 これは社会性のある活動であると言うこともできるかもしれません。

 一人では継続できない事も多くの仲間の方や先生のご指導によって、継続の意義を見出せる、そんな武道が合気道であると考えます。 その点において私は合気道には、当初の護身術的な目的以外のものをいただいた気がしております。

 今後も仕事や家庭等ありますが、皆様に感謝しつつ、できるだけ合気道を続けていけたらと考えております。ありがとうございました。


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